What's "MEN'S Precious"

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2016年01月07日

「うわさされるより悪いことは、まったくうわさされないこと」(オスカー・ワイルド)

あけましておめでとうございます。

   綺羅星のような「ジェントルマン(&ジェントルウーマン)」から感情のコントロールや不測の事態への対処法のヒントを学び、修養する日々ですが、激動が予想される2016年も、経験から生まれた彼らの叡智に心の支えを求めてまいりたいと思います。

 さて新春早々、緊迫の世界情勢に反して、日本では福袋買占めだのタレントの不倫疑惑だのと平和ボケゆるゆるの騒ぎが聞こえてきますが、こんなときこそ、浮かれた空気には同調せず、シビアな話から始めたくなります。

 みなさまは、人が受ける数々の試練のなかで、もっともつらいものは何だとお思いになりますか?

 もちろん、人や状況によって感覚は異なるでしょうから一概にはくくれないのですが、たとえば『武士道』英語版まで書いた明治・大正・昭和の超インテリにして教育家にして国連事務局次長までつとめた新渡戸稲造先生は、このように断言しています。

 「人間社会で不愉快なる感を与うるものは数多あるが、これを一々区別して、何が最も有力なるかを尋ぬるに、貧困よりも疾病よりも、失望よりも何よりも、他人から悪く批評されることが最も有力なものであろう」(『自警録』(講談社学術文庫))


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 英雄も聖人も豪傑も批判・誹謗に苦しんでおり、かつ悪口好きな人の口は封じ込められないので、それに対して言われたほうはいかなる心構えでいるべきかを、稲造先生は、まるまる一章かけて説いています。人並み以上に打たれ弱いワタクシは、たびたびこの本を熟読して心のタフネスを鍛えてきました。完全に強くなるには、まだまだ修行が必要ですけれど、「日ごろの行状を慎み、日常の信用を厚うする」(『自警録』)ことが最大の防御であり、「正しさ」の証明になると実感し、信じるに至っています。


 では、悪口とまでいかなくても、ゴシップとして面白おかしく俎上に載せられてしまう場合はどのような心がまえでいたらよいのでしょうか。

 先日も、ふだんほとんどおつきあいのない方が、私に関するこんなうわさ話を聞いたと知らせてくれたのですが(ご丁寧にありがとうございます)、話が盛りに盛られてお笑いまじりのフィクションになっており、出所をたどってみると、信頼していた知人でした。

 ご本人は悪気がなかったと思うのですが、ぽろっとどなたかに「ここだけの話ね」と私信の内容をばらしてしまったらしいのです。それに尾ひれはひれをつけられ、第三者どころか第五者、第七者に伝わるころには、当の本人すら何のことかわからない、広めるべき面白「ネタ」と化していたのでした。それがわかったときの衝撃というか脱力というか。

 いまはそういうガラス張りのお時代なんですね。


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 (C)2012 Twentieth Century Fox Home Entertainment LLC. All Rights Reserved. 



I'm trying really hard not to get hurt again."


 こういうときに、「裏切られた」と悲しむのもダサイし、しゃくですね。面白がって話してる人たちはたいしてシリアスには考えてなくて、単にその場を盛り上げるための「ネタ」としてテキトーに消費しているだけですから。大した内容でもないことに対して傷ついた様子を見せるのは、ばからしい。

 が、本音を言えば、傷ついていないことを装うためにエネルギーを費やしますね。 「傷つかない」ためなら、いかなるレトリックだって編み出せるほど、経験を積んだかもしれません。硬度の高いダイヤモンドは、なまじなことでは傷つかない、と自身に言い聞かせて。

 しかし、そんな経験をすることで、いいこともあります。スケールも文脈もまったくちがいますが、身近な人に私信やテープなどをマスメディアに売られてゴシップネタになってしまったダイアナ妃やらデイヴィッド・ベッカムやらの気持ちが少しは理解できるようになります。彼らのようにゴシップがつきもののスタイルアイコンの記事を書く身には、ありがたい経験だと思うことにしています。ヒマな外野は「有名税だから」と一笑に付し、うわさ話を消費して終わりですが、一度似たような経験をしてしまうと、耐えて沈黙を守る当事者の心の奥に共感できるようになります。

 さらに、ネタとして面白がられているというのも、悪いことではないのかもしれません。劇作家オスカー・ワイルドは『ドリアングレイの肖像』のなかでこのように書いています。

"There is only one thing in the world worse than being talked about, and that is not being talked about."
(「うわさされるより悪いことがただひとつある。まったくうわさされないことだ」)

 うわさされることで、人の「気」が集まり、エネルギーになっていく。ダイアナ妃も、ベッカムも、暴露事件のその後、かえってパワーアップしていきました。そう見ると、救われるし、感謝すらできる。うわさされるうちが、華ですね。

 このように心の態度を決めると、すがすがしいというか、腹が据わります。ネタになります、喜んで。

 それにしても、喜々として他人のうわさ話をしている、あるいは私的なやりとりを漏らす口の軽い男ほど(女もですが)、興ざめなものはありません。「自分のことも他所でこんなふうに話されるんだろうなあ」と想像すると、「ないわ~」と冷めていきます。まあ、他意のないゴシップは、サルの仲間同士の「毛づくろい」みたいなもので、私もときどき楽しませていただくんですけどね! 信頼で結ばれる関係を築いていけそうだと感じるのは、うわさ話など「聞かざる」「言わざる」態度を一貫して見せる方。数少ないそういう方に出会うためには自分もそうあらねばなりませんね。修養の道はまだまだ続く。

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©country boy shane











2015年12月24日

「起きることすべてには、理由があるのです」(アリアドナ・グティエレス)

 2015年のモード界には、ジェンダーレスの風が強く吹きました。トランスジェンダーモデルの活躍は言うまでもなく、女性服のショウに男性モデルがごく自然に紛れ込んでいたり、男性服のショウに女性モデルがさりげなく歩いていたりという演出も光っていました。

そんなトレンドに便乗して、本日は、「なんと紳士的なふるまいなのであろうか」と心を動かされたある一人の「ジェントルウーマン」を登場させることをお許しください。

彼女の名は、アリアドナ・グティエレス。2015年ミス・ユニヴァース世界大会に出場した、コロンビア代表です。

12月20日にラスベガスで行われたこの大会のクライマックス、優勝者発表の瞬間。司会者のスティーヴ・ハーヴェイは、優勝者をコロンビア代表のアリアドナと発表しました。栄誉あるMISS UNIVERSE のタスキをかけられ、戴冠するミス・コロンビア。満面の笑顔で観客に手を振り、投げキッスをして、全身で喜びと誇りを表現していました。

およそ50秒後。司会者のハーヴェイが、のこのこと申し訳なさそうな顔で出てきます。「謝らなくてはなりません。第二位がコロンビアです。ミス・ユニヴァース2015は、フィリピンです」。

なにが起きたかわからないのは、ミス・コロンビアもミス・フィリピンも同じ。隣にいたミス・アメリカに促されるようにして、フィリピンのピア・アロンソ・ウォルツバックが前へ出てきます。必死に冷静を装うアリアドナの頭からクラウンがはずされ、それはそのままピアの頭上に輝きます。

この一部始終はテレビで世界に中継されていました。

アリアドナの心中は、いかばかりであったでしょう。天国から地獄とはこのことではないでしょうか。司会者がこのとんでもない大間違いをしたばかりに、本来ならば味わうこともなかった恥ずかしさや当惑、これ以上はないと思われる感情の急降下まで経験しなくてはならなくなったのです。そのまま会場から姿を消して、ひとりで泣きくれたいほどのショックだったと憶測します。

ところが、アリアドナの対応は立派なものでした。涙をふきながら、でも笑顔を保って、このように言い切ったのです。

"Everything happens for a reason so I'm happy...  Thank you for all. Thank you for voting for me."
(「起きることすべてには、理由があるのよ。私は満足。私に投票してくださったみなさん、ありがとう」)

人間の本性は、唐突に訪れる窮地や危機的状況において明らかになるものです。最悪の状況での、世にもエレガントなこの対応で、ミス・コロンビアは、世界中の視聴者の心をわしづかみにし、公式な優勝こそ逃したものの、この大会の隠れた「勝者」になったこと、言うまでもありません。

思えばミス・ユニヴァース・コンテストなんて、この司会者が象徴していますが、不条理でいいかげんなところが決してないとはいえない世界です。私も昨年、一昨年と地方大会の審査員をしたり出場者を対象にした講師をしたりしましたが、いまだに交通費すら支払ってもらえません。

しかし、そのように理不尽なところも見え隠れする世界で、自分の可能性に賭け、「ビューティーキャンプ」を通してアスリートのように自らを鍛え上げ、大舞台での勝負をかけていく女性たちの真摯な努力には、敬意を覚えています。講師として彼女たちと触れ合って、人生を切り開いていこうとする態度や圧倒的な努力に共感し、友人になった女性も何人かいます。13センチヒールをはき、世界基準の「型」にはめる苛酷な訓練を重ねる過程で、とことん自分自身と向き合い、かけがえのない自分らしさを見つけていく、それがミス・ユニヴァース出場者が経験する「心の旅」なのです。大会は、それぞれが見つけた価値を証明する舞台でもありましょう。

ミスコンだけではなく、私たちそれぞれが闘う世界も、不条理やら理不尽やらにあふれています。そもそもどんなに頑張って何かを築き上げようとも、早晩、必ずこの世から手ぶらで「退場」しなくてはならないという一種の「虚しさ」からは誰も逃れることはできません。

そんな世界でも、投げやりにならず、希望を見出し、磨き、鍛え、闘っていく。他人のとんでもない大失態のとばっちりをくらっても、涙と笑顔で寛大に赦し、ひとつの試練と受けとめて次へ行く。アリアドナはまさに、グローバルにしてジェンダーレスな「人間の美」の世界基準を証明してみせてくれました。

日本における多文化主義とは何かということを多くの人に考えさせた、日本代表の宮本エリアナさんの健闘にも心より敬意を表します。日本代表に決まってからの9か月間、一部のバッシングにも決して負けなかったエリアナさんの笑顔を私は忘れません。

それにしても。新女王ミス・フィリピンを称える記事を読んでいて新鮮な驚きを覚えた形容詞が「fierce(フィアス、獰猛な)」。肉食獣を思わせる獰猛なエレガンスがミス・ユニヴァースの基準のひとつなのですな。なるほど、農耕民族にはなかなかピンとこないわけです。
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Photo by courtesy of official Facebook page of MissUniverse2015

2015年09月19日

「名誉を傷つけることができるのは、自分自身だけだ」(バルトーク)

世界も日本も地球環境までも不穏に揺れ動き、緊迫する日々ですが、このような時こそ、Keep Calm and Carry On (落ち着いて、粛々と日々の務めを果たせ)。 第二次世界大戦直前にイギリス政府が配布したポスターのコピーで、リーマンショック以降、再び脚光を浴びている言葉ですが、心が乱れるときほど効力を発揮するように感じます。

それにしても、権力をもつ者が公正なルールを無視して理不尽なやり方を強引に通すという横暴。今ばかりではなく、いつの時代にもどの国にも見られる不条理とはいえ。

時代も場所も不特定のファンタジックな帝国を舞台にした騎士道映画、「ラスト・ナイツ」は、そんな権力者の横暴に端を発する物語です。
★メイン

紀里谷和明監督がハリウッドに進出した映画として話題ですが、俳優陣が多国籍から成っています。イギリスのクライヴ・オーウェン、アメリカのモーガン・フリーマン、マオリ族の血を引くニュージーランド人のクリフ・カーティス、オスロ生まれの俳優アクセル・ヘニー、ニューヨークからイランに移り住んだペイマン・モアディ、イスラエル人のアイェレット・ゾラー、テヘラン生まれのショーレ・アグダシュルー、日本の伊原剛志、韓国のアン・ソンギ......。これだけの俳優をまとめあげるだけでも製作者は大変だったと思いますが、多国籍の豪華俳優が演じる「忠臣蔵」風の物語は、どの国の人間にも通じるリアルな物語としてよりも、むしろ近未来的なファンタジーとしての印象を強く残します。

Last Knights 5

衣装もその印象に貢献しています。騎士たちの甲冑は金属ではなく革製なのです。とりわけライデン役のクライヴ・オーウェンのしなやかで頑丈そうな革製甲冑は、過去のどんな歴史的なコスチュームにも見られない洗練されたデザインで、それがいっそう、ダークファンタジーとしての雰囲気を盛り上げています。衣装デザイナーはティナ・カリヴァス。

Last Knights 3

ダークファンタジーとしての印象は、クライマックスのアクションシーンで極まります。なにかに似ていると思ったら、ダンジョン攻略ゲームでした。ラスボスに行きつくまでのプロセスとか、長丁場な感じとか、クリア直前で一瞬、盛り下がる感覚とか。その意味では現代人の感覚に則したアクションなのかもしれません。

茶化してるみたいな表現で恐縮ですが、そうではなく、(宣伝されているように)シリアスなサムライ魂ドラマとして観るよりもむしろ、ダークファンタジー系ダンジョン攻略&リベンジゲーム的世界として了解し、その世界観につかったほうが、この映画のよさを味わえるように感じたのです。

そんなファンタジックな世界とはいえ、現実世界に生きねばならない観客にも響く名言はちりばめられており、たとえば、忠義の騎士ライデンが、主君バルトーク(モーガン・フリーマン)のリベンジを果たすために立ちあがるときの次のセリフなど、まさに、理不尽な権力により不当な扱いを受けて悔しさに地団太踏んだことのある多くの人々に、対処の際の心構えを示唆する指針となりそうです。


"We have planned, we have sacrificed, we have waited for the right moment and now we will restore the voice of our people." (われわれは周到に計画し、犠牲を払い、時を待ち続けた。そして今こそ、同胞の声を取り戻す時だ)

アタマに血がのぼったまま逆襲すれば立場が不利な混乱で終わるのが関の山。まずは冷静になり、周到に計画を練り、実行のための間違いのないタイミングを待つ。それが義をなす者の確実なリベンジへの道。Revenge is a dish best served cold.(復讐は冷めてからがもっとも美味しい)という古くからの格言もこの心構えを後押ししてくれます。


それにしても、復讐の対象となる悪大臣ギザ・モット(アクセル・ヘニー)も、苦しみ続けるんですよね。いつライデンが復讐しにくるかと常におびえ、過度に警戒し、周囲にも猜疑心や敵意を向け、傷は延々と治らない。他人を陥れた悪の張本人が、自分自身で、自分を不幸に追い込んでいるわけです。その過程で報いを十二分に受けている。

自分のなした悪行は、そんな形で、他人から復讐される前に、結局は自分に返ってくる。ひるがえって、善行も同じこと。他人から顕彰される前に、自分自身に対する揺るがぬ誇りが積み重なっていきます。それがホンモノの騎士の名誉。他人がどうこうできるものではない。バルトークがライデンに伝えることばも、そんな風にも読めます。

 
"The wounds of honor, are self-inflicted." (名誉を傷つけることができるのは、自分自身だけだ)。

期せずして鉄鋼王アンドリュー・カーネギーも同じ言葉を遺しています。"All honor's wounds are self-inflicted." (名誉を傷つけるのは、つねに自分自身。他人がどうこうできるものではない)

誹謗中傷の応酬や復讐に対する復讐。その終わりなき悪循環を止めることができるのは、気高く強い志をもつ紳士の、名誉に対するこの信念だけ。殺伐とした時代にこそ、心に刻んでおきたいパワーフレーズです。

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☆☆☆

「ラスト・ナイツ」
11月14日(土) TOHOシネマズ スカラ座他にて全国ロードショー
 
出演:クライヴ・オーウェン モーガン・フリーマン クリフ・カーティス アクセル・ヘニー ペイマン・モアディ
    アイェレット・ゾラー ショーレ・アグダシュルー 伊原剛志 アン・ソンギ
監督:紀里谷和明
2015年/アメリカ映画/原題「LAST KNIGHTS」
写真提供:DMM.com 配給:KIRIYA PICTURES/ギャガ/PG-12
 ©2015 Luka Productions

 


2015年07月22日

「ジェントルマンの名前が新聞に出るのは、一生のうち三回だけ」(ハリー・ハート)

久々に、寝ても覚めても映画の夢を見ています。
文字通り、「夢中」にさせられた映画。
あの快作「キックアス」で名をとどろかせたマシュー・ヴォーン監督の最新作、「キングスマン」です。

9月11日の公開まで少し間があるので、
これからご覧になる方のお楽しみを削がない程度に紹介させていただきます。

「キングスマン」、それは、


「アーサー王と円卓の騎士」を土台にしながら、「007」「国際諜報局」などのイギリス紳士スパイ映画の伝統にひねりを加え、「マイ・フェア・レディ」のロマンで彩った、連続打ち上げ花火を見るような驚きと快感を味わわせてくれるブリティッシュ・エクストラヴァガンザです。

エクストラヴァガンザとは、形式においても内容においても自由奔放なスタイルを貫き、衣装や舞台装置にも凝りに凝った、なんでもありのコミックオペラのようなもの。


サブ2.jpgキレがよすぎて笑えるアクション、過去の数々のスパイ映画からの引用、痛烈な現代社会批判、チャヴ(イギリスの労働者階級の不良少年)が一人前のジェントルマンスパイに成長する感動、現代紳士の武装たるサヴィルロウのダブルスーツの色気、音楽選びのセンス、キャスティングの洒落っ気と、キッチュなキャラクターのイキのよさ、細かい事実が冴えわたる脚本。



もう語りどころ満載。マニア心を刺激し、あらゆる感情をかきたてるという意味で、単にスパイアクション映画というよりもむしろ、エクストラヴァガンザと表現するのがもっともふさわしいように思えます。

スパイ組織の本部「キングズマン」は、サヴィルロウのテイラーという設定ですが、モデルになったのは実在のテイラー「ハンツマン」。ハンツマンそっくりのセットをスタジオに作り、ハンツマンの全面的な協力のもと、外観や内装をリアルに再現したそうです。

円卓の騎士に由来するコードネーム(アーサー、ガラハッド、ランスロット、そして魔術師マーリン)を与えられたジェントルマンスパイたちが着るスーツは、若干の大時代感が絶妙に新鮮なダブルのスーツ。

これに「武器」として靴、傘、ペン、ライター、メガネ、時計、シグネットリングなどをフル装備する。


サブ1.jpgのサムネイル画像試着室の奥に現れる「武器庫」の壮観ときたら......クラシックなスーツスタイルが好きな方にとっては鳥肌ものです。

チャヴだったエグジー(タロン・エガートン)が、ジャーミンストリートの香りがしそうなグルーミングを決め、黒メガネをかけ、キングスマンスタイルで登場し、0.3秒のウィンクをしてみせるシーンには、少なからぬ女性が悶絶するのではないでしょうか。


「マイ・フェア・レディ」で、花売り娘だったオードリー・ヘップバーンが舞踏会用の白いドレスをまとい階段をしずしずとおりてくるシーンと同じ陶酔がそこにあります。

ちなみにスーツに関しては、マシュー・ヴォーンと衣装デザイナーのアリアンヌ・フィリップ、そしてMr.Porterが協働してこの映画のためにキングスマン・コレクションを作り、映画のなかでキャラクターに着せていると同時に、実際に販売もしています。なんと商売もちゃっかり。

衣装つながりでいえば、キングズマン候補生たちが、サイレンスーツを着て並ぶシーンがあるんですよね。
サー・ウィンストン・チャーチルが、第二次世界大戦中、サイレンが鳴ってもすぐに執務できるように着用したツナギ型のスーツです。
今年の秋冬コレクションのひとつに、ラルフ・ローレンがサイレンスーツを出していますが、それはひょっとしたらこの映画の影響があったのでしょうか?

 そんなこんなの映画衣装談義も尽きないのですが、ジェントルマンシップの学徒にとって、味わい深いセリフも満載。

"Manners Maketh Man"(礼儀・作法が人を作る /  14世紀の神学者「ウィカムのウィリアム」のモットー。ウィンチェスター・カレッジの紋章にも記される)
"If you are prepared to adapt, you can transform"(その気になりさえすれば、変わることができる)

などなど、フィールグッドなセリフもちりばめられますが、私がしびれたのはこちらです。

 A gentleman's name should appear in the newspaper only three times: When he's born, when he marries, and when he dies.
(ジェントルマンの名前が新聞に出るのは、一生のうち三回だけ。生まれた時、結婚したとき、そして死ぬ時だ)

ジェントルマンは名声など求めない。スキャンダルも起こさない。正体は謎めいたまま、深く潜航し、確実に「世界を救う」仕事をする。
現代ウケするエクストラヴァガバンザながら、底流に響く美学は、伝統的ジェントルマンの抑制と苦み走るドライなユーモアなんですよね。
ほかならぬその点が、この映画の、たまらない魅力の源泉です。

中世の騎士のように姫を助けたら、ボンドのようなお楽しみが待っている......のオチの扱いも含め、
収まりきらず、予想もつかない、ダークで陽気な新・英国紳士ワールドの炸裂。
「アメリカ的」なるものの、「右」も「左」も、皆殺し。
スティッフ・アッパー・リップ(上唇をぴくりとも動かさないイギリス紳士を特徴づける表情)のスタイリッシュな逆襲とも呼べそうな快作の余韻は、しばらく続きそうです。

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「キングスマン」
9月11日(金) 全国ロードショー
配給:KADOKAWA
(C)2015 Twentieth Century Fox Film Corporation


2015年05月30日

「ダンディとは衣服を着る男、その商売、職務、生活が衣服を着ることに存する男である」 by トマス・カーライル

 現実世界において、ことばは生き物。それを誰がいかなる文脈で言うのか?によって、意味が正反対になることがあります。とりわけ、イギリス紳士が発することばには要注意です。

たとえば、紳士が、「いやあ、その話は実に面白いね」と言ったとしても、素直に喜んではなりません。「きみは死ぬほど退屈だ」というのが真意です。

また、「それもたしかに一つの見方ではあるね」と彼らが言うとき、それは「あなたの見方はまったく見当違いだ」という意味と受け止めたほうがいい。

また、逆に、「悪くない」と言われてがっかりする必要はありません。「可」ではなく、最高のホメ言葉だったりします。

会話においてもそうですし、文章においても、常に「誰が、どういう立場で、それを語っているのか?」を考えながら真意を読み取っていかねばなりません。これを「コンテクスト(文脈・背景)を読む」と言いますが、機械的に英文和訳をした日本語は、このプロセスを経ないと、正反対のニュアンスを伝えかねません。

たとえば、「メンズプレシャス」読者にもファンが多いウィンザー公に関する次の記述。

'The Duke of Windsor was the first heterosexual to appear in public wearing suede shoes.'
「ウィンザー公は、同性愛者ではないのにはじめてスウェードの靴を履いて現れた人物」

デイリー・メイルという新聞のオンライン版に掲載されたある本('The Dandy: Peacock or Enigma' by Nigel Rodgers) の書評にあった一文です('Would you dare to be a dandy?' by Roger Lewis, 20/June/2013)。この一文だけ切り取ると、ホメているようにも読めるかもしれませんが、実は全文を貫く姿勢が「ダンディ」に対する距離をおいた揶揄であり、この一文にもまた、ホメるふりした嘲笑がこめられていると読まねばなりません。

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そもそも、メンズファッション界においては数々の着こなしの冒険をしたヒーローとして崇められているウィンザー公も、イギリスの保守層から見れば、2度の離婚歴あるアメリカ女性のために国王廃位という前代未聞のスキャンダルを起こした無責任男。ナチス寄りの言動も警戒され、退位後は

ほとんど国外退去のような形でフランス郊外に住まわされています。それでもなお、王室メンバーとして敬意を払うべきお方でありますから、ウィンザー公に言及した表現は、常に裏を、真意を、慎重に読み取っていく必要があります。

「ダンディ」ということばそのものに対しても、私たちは、一応、コンテクストを知っておくにこしたことはありません。

19世紀、トマス・カーライルは『衣服哲学』のなかで、「ダンディ」を次のように定義しました。

「ダンディとは衣服を着る男、その商売、職務、生活が衣服を着ることに存する男である。彼の霊魂、精神、財産および身体は、衣服をうまくよく着るというこの唯一の目的に英雄的に捧げられている」(『衣服哲学』第三部第10章、石田憲次訳、岩波文庫)

この一節を文脈から切り離して読めば、ダンディってお洒落大好きな男のことなのね、と単純に解釈することもできましょう。「英雄的に捧げられている」なんて書かれているので、ひょっとしたら憧れがこめられた表現なのかな?などと受けとめてしまう人もいるかもしれません。

しかし、カーライルがいかなる立場でこれを書いたのかを知れば、そんな生ぬるい表現ではないことがわかります。彼は当時、ウィリアム・マギンが編集長をつとめる「フレイザーズ・マガジン」において、小説家のサッカレーらとともに、徹底的なダンディ攻撃キャンペーンを行っていました。カーライルがダンディ撲滅の使命感に燃えてこの雑誌に連載した記事、それがほかならぬ『衣服哲学』だったのです(1833年11月~1834年8月)。

つまりこのダンディ定義には、痛烈な嘲笑と皮肉がこめられていると知るべきなのです。

現代イギリスにおいても、そのニュアンスは変わりません。「『ダンディ』は99.9%、否定的なニュアンスで受けとめられています」と教えてくれるのは、イギリスに住んで16年、ロンドンと東京にRustというアクセサリーショップを経営する内海直仁さん。多くのイギリス人に聞き取り調査をした結果も教えていただいたのですが、「見てくれだけ奇抜な、自己賛美的な人たち」というのが大方のイギリス人にとっての「ダンディ」観とのこと。

実際、イギリスの紳士は、「He's a dandy (彼はダンディ)」と発音するとき、語尾の「ディ」を上げるのですが、その音が表現するのは、かすかな軽蔑です。


JD omote.jpgいや、このことばが使われるならまだいい。数年前に対談したイギリス出身のピーター・バラカンさんは、「ダンディ」に関して、こうまで言います。「普通のイギリス人は、『そんなの過去の話でしょ?』と思ってるんじゃないかな。番組(注:NHK・BSの「今夜決定?!世界のダンディー」)に出演するにあたって、いろいろ調べたけど、あまりヒットしないんですよ、ダンディで。最近の世界ではかなりマニアックな、ゲイのサイトで見つかった程度」(OPENERS 「21世紀のダンディズムを語る」 ピーター・バラカン×中野香織)。

つまり、現代イギリスにおいては「ダンディ」ということばじたい、やや特殊な領域でのみ使われるレアワードで、使われたとしても決してほめ言葉ではない、ということです。

もちろん、ことばをはじめ、すべてのモノや文化は、国境を越えれば別の独自の発展をしていきます。「ダンディ」はイギリスでは軽んじられたままですが、日本においては、フランスの文学者が過大評価したダンディズムを先に輸入してしまったこともあり、やや精神性を帯びた重厚で素敵なものとして解釈されています。それはそれで日本のダンディズムとして「悪くない」のです。私も、話題の写真集「Japanese Dandy」には心より賛同し、帯のコピーまで書かせていただきました。これだけの歴史が経過すれば、必ずしも、「本場」と同じものである必要はないわけですから。アメリカ東海岸発のカレッジスタイルであった「アイヴィー」ルックにしても、日本独自の発展を遂げて、逆に「本国」から賞賛を受けるまでになっています。

そんなこんなのコンテクストをすべて含みおいたうえで、お洒落だと思う方をホメましょう、「ダンディですね」と。相手が日本人であれば喜んで受け取られるでしょう。しかし、イギリス紳士に対しては使わないことをお勧めします。もっとも、意図的に傷つけたいなら制止はいたしません。「紳士は、無意識には人を傷つけない」(by オスカー・ワイルド)。



2015年01月07日

「絶対に君を失望させない。生涯をかけて、それを証明していく」 (シャーロック)

みなさん、あけましておめでとうございます。

ほぼ一年もご無沙汰してしまいました。申し訳ない限りです。見捨てずにいてくださった読者の皆様と編集部スタッフには、感謝してもしきれません。

 

この一年ほど、かつてないほどソーシャルイベントの仕事がありました。何らかのテーマについてレクチャーしたり語ったりし、その後は参加者全員が交流、という講座やサロンやティーパーティーなど。に限った現象ではなく、SNSの投稿やウェブ上のレポートなどを見る限り、どうやらいたるところで学びと社交をセットにしたイベントが増えているようです。

 

そのような場では、初対面の参加者同士のつながりが生まれこともあります。実は昨年のクリスマス前夜に、3組の「カップル」から写真付きのメッセージが送られてきました。

 

「あの講座で知り合ったSさんと、いま、サシ飲み中です」

「先日のサロンでお目にかかったHさんと朝まで飲んで、これから一緒に朝ごはん食べに行きます」

「この前のパーティーで会ったKさんと、二人でクリスマスケーキを食べています」

 

まあ、ええことではないか、と思うでしょう? 

でもこれがすべて男同士だとしたら。

上品な美女も大勢参加していたはずの大人のサロンで、思わぬ副産物として生まれた「カップル」3組が、すべて男同士だったのです。

 

ご縁を作った(結果として、ですが)私に報告をするという礼儀を尽くしているのがたまたま男同士の「カップル」であり、

男女カップルが成立していたとしても、水面下でひそかに進行中というだけなのかもしれません。そんな事情を差し引いたとしても、

3組も男同士の組み合わせが生まれるというのは衝撃ではありませんか。

 

先ほどから「カップル」と言っておりますが、ここで内情を明らかにするならば、彼らはホモセクシュアルではありません。

外から見れば恋人なみの仲睦まじさですが、そこに性的関係はありません(と彼らは言っています)。

 

 ゲイではない男同士のほぼ恋愛に近い関係、このような関係は、ブロマンスと呼ばれています。まだこの言葉が耳慣れない方のために簡単に説明させていただきますと、ブロマンスとはブラザーロマンスを組み合わせた造語です。1990年代に、「ビッグ・ブラザー」というスケボー誌の編集をしていたデイヴ・カーニーが造ったことばとされていますが、日本でも脚光を浴びるようになったのは、BBCドラマ「シャーロック」の大ヒットからです。19世紀の古典「シャーロック・ホームズ」の舞台を21世紀に移し替えたスピーディーでスタイリッシュなドラマですが、ベネディクト・カンバーバッチが演じる顧問探偵シャーロックと、その助手にして元軍医のジョン・ワトソン(演じるのはマーティン・フリーマン)、この二人の関係がブロマンスとしてドラマの見どころの一つになったのです。周囲は二人を「恋人でしょ?」と見るのですが、ゲイではない二人はあくまで礼儀正しくロマンスを否定する。毎度「お約束」のようにさしはさまれる二人の当惑が、なんともかわいいのです。(こう見るのは「腐女子」っぽい?)

 

男どうしの友愛関係は昔からありました。1970年代にポール・ニューマンとロバート・レッドフォードの黄金コンビが演じたブッチとサンダンス(「明日に向かって撃て!」)のような。当時はまだホモセクシュアルがタブー視された時代で、ゲイではない男同士の友愛はあくまで、マッチョなバディ(相棒)として扱われていました。

 

でも、21世紀に入り、同性婚も増え、ゲイカップルも珍しくなく、男同士の愛があっても不思議じゃないよね、という寛容な空気が広がります。ブロマンスは、そんな時代における男と男の友情以上の情熱的な関係として命名され、認められるようになった次第。昨年、才色兼備の弁護士と結婚したジョージ・クルーニーも、ブラッド・ピットとは長年にわたりブロマンスの関係にあると見られてきました。若干の揶揄の底流には、羨望や憧れが見えます。思えば古代ギリシア時代、プラトンはすで「男と男の間の真の友情は、永遠不滅である」ということばを残していますが、この時プラトンが思い描いていた関係もまた、当時まだ言葉を与えられていなかったブロマンスであったのでしょう。

 

というわけで、いまやおしゃれ(?)になったブロマンス。意識の高い3組の男性たちがその関係をアピールするのも無理からぬことかもしれません。シャーロックとジョンみたいに多くの時間と経験を共有しているのに「いや、違うんです」と頑なにロマンスを認めないのが本来のブロマンスではありますが、まあ、人と人の関係においてバリエーションはつきもの。自らブロマンスと認め合う関係もまたアリでしょう。

 

さてブロマンスの魅力的なモデル、シャーロックとジョンに戻ります。冷酷な「高機能社会性欠陥者」であったシャーロックが、愛するジョンの結婚式において、ベストマンとしてスピーチをするシーンの中から、ブロマンス的な感情があふれるセリフをご紹介します。

 

シャーロックのスピーチは、ゲストをぎょっとさせるネガティブな語りから始まります。愛という感情を「理性とは正反対」と軽蔑し、結婚式を「不誠実で見かけ倒し」と全否定し、ジョンに対する嫌味をつらつらと並べ、自分がいかに不愉快で礼儀を知らないサイテーのヤツかということを饒舌に語ります。シャーロックの性格を知る観客は、彼らしいブラックユーモア炸裂ににやりとしますが、披露宴のゲストは凍りつきます。その凍結状態から一転、シャーロックはジョンに対するこのうえなく誠実でアツい感情をほとばしらせるのです。

 

John, I am a ridiculous man, redeemed only by the warmth and constancy of your friendship.

「ジョン、ぼくはバカな男だ。埋め合わせてくれたのは、いつも変わらない、あたたかな君の友情だけだ」

 

ジョンが妻として選んだメアリーにも気配りをしながら、こんな誓いのことばで感動をクライマックスへともっていき、ゲストを泣かせます。

 

 Today, you sit between the woman you have made your wife and the man you have saved. In short, the two people who love you most in all this world. And I know I speak for Mary as well when I say we will never let you down, and we have a lifetime ahead to prove that.

 「今日、君は、妻に選んだ女性と、君が救った男の間に座っている。つまり、世界で一番君のことを愛している二人の間にいる。僕がこれから言うことは、妻となったメアリーのことばでもあるはずだ。僕たちは絶対に君を失望させたりしない。生涯をかけて、それを証明してみせる」

 

脚本家が、書きながら涙ぐんだという最後のセリフには、私も書きながらグッときます。同時に、ブロマンスは、間に一人女性が入ることで、いっそう強化されるということにも気づくのです。そういえば、トリュフォー監督の「突然炎のごとく」のピエールとジムは、間にカトリーヌが入って深まったブロマンスだし(フランス語の原題がまさしくピエールとジム)、ブッチとサンダンスも、間にエッタ(キャサリン・ロス)が入ったことで絆をより強めていったブロマンスと見えなくもありません。女はむしろ二人の関係を一層強めるためのスパイス程度でしかありません。となれば、強烈であればあるほうが、効きます。カトリーヌも強烈でしたが、メアリーは最強。逆に、自由奔放に生きたい自立した女の視点に立ってみれば、一対一で向き合う重たい関係よりも、ブロマンスで結びつく二人の男を相手にしていた方が意外とラクで楽しい。というわけで、ブロマンスはこれからも増え続けていくのではないかと見ています。Let's see...

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ブロマンス・カップルを生んだサロンのひとつ、「シャーロック・ナイト」。チャーリー・ヴァイスのご協力を得て2014年11月に開催したサロンでは、メンズプレシャス本誌でもおなじみの島地勝彦さん、ソリマチアキラさん、綿谷寛さんもミニスピーチをおこない盛り上がりました。写真は、綿谷寛・画伯が作成して参加者すべてに配ってくださったサプライズギフト、カンバーバッチのシルエットを描いた「缶バッチ」。


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ブロマンス研究書。マイケル・デアンジェリス編『ブロマンスを読む』。



2013年12月11日

「圧倒的に美しい。無敵の魅力だ。ホントに素敵」(ハーヴィー・スペクター)

紳士淑女のみなさま、こんにちは。

「マッドメン」「ゴシップガール」、そして「シャーロック」に続き、いま、久々に私の血を騒がせているテレビドラマが、

SUITS/スーツ」です。


ニューヨークの大手法律事務所を舞台に、敏腕弁護士と天才的頭脳をもつ若い部下がタッグを組んで、次々に訴訟を片づけていく。

SUITSには、「訴訟」という意味と「スーツ、二つの意味がかけられているんですね。

法律用語が機関銃のように放たれるスピーディーな展開も楽しいのですが、おしゃれなメンプレ読者にとっては、

なんといっても、主役二人が着るスーツが魅力となるでしょう。

できる男ハーヴィー(ガブリエル・マクト)はトム・フォード、若いマイク(パトリック・J・アダムズ)は、

最初は量販スーツで、やがてバーバリー。成熟した男の艶やかさと、将来を期待させる男のみずみずしさ。

それぞれの魅力をスーツが表現し、二人並ぶことで相乗効果を奏でているのです。戦場となる法律事務所や法廷でこれを着こなし、勝負を勝ち取っていく姿は、うっとりもの。

中世の騎士たちの鎧や甲冑に相当するのが現代のスーツなのだという認識を新たにしました。

なかでも、トム・フォードを着るハーヴィー役ガブリエル・マクトは、ビジネスの場で人を魅了し、ときに威嚇の武器ともなりうるスーツ姿での立ち居振る舞いのお手本を見せてくれます。決め台詞を言って微笑んだあとに、ボタンを留めるしぐさ。「この件、ピリオド」と無言で語っているようで、悩殺されます。

 

また、ハーヴーは決して首をふらふらさせません。背中から頭のてっぺんまでしなやかな芯が入っているようで、首元は常に緊張を保ち、うなだれたり、くびをかしげたりということもしません。これが彼に自信のオーラを与え、周囲が彼に対して魅せられながら一目おいてしまう隠れた根拠を作っているのですね。

 

謙虚と共感を美徳とするゆえか、日本人は立派なスーツを着ていても、ついぺこぺこ繰り返しお辞儀をしてしまったり、頭を何度も上下してあいづちをうってしまったりすることが多いのですが、せめてお辞儀は一度だけきっぱり、あいづちは首を動かさず声と表情だけで、というのを心がけてみよう......と思い直した次第。

 

スーツにかぎらず、「ファッション」というのは、

何を着るかというよりも、それを着てどう振舞い、何を話すかということが問題になりますね。

 

どう話すか、においては、ハーヴィーはプロ。というかもう詭弁家です。トム・フォードのスーツにカリスマ漂う立ち居振る舞い、そして無敵の弁論術が備われば最強ですね。セクシーな条件そろい踏み。しかし、私がなによりも興味ひかれるのは、こんな最強の男たちと、このドラマに出てくる女性たちとの関係です。

女性がみな自信にあふれて強いのです。たとえアシスタントであっても、目線は常に男より上。NY一仕事ができる男ハーヴェイをさらに上から目線で支配する女性たちと、ハーヴェイとの会話に、気持ちのいい緊張の漂う男女間のあるべき理想を見たりします。

 

たとえば、上司ジェシカがドレスアップして顧客と会うのを見送るハーヴィーー、そのやりとり。

 

ハーヴィー: 二語で言おう。圧倒的に美しいabsolutely beautiful

 

ジェシカ: 私だって顧客にモテるのよ

 

ハーヴィー無敵の魅力だCategorically stunning.

 

ジェシカ新しく雇った男の子はどう?

 

ハーヴィー:  ホントに素敵 (Really hot)

 

ジェシカ: ばかじゃないの

 

ハーヴィージェシカ・ピアソン!

 

ジェシカおやすみ、ハーヴィー

 

「二語」の言い換えを三回(absolutely beautiful, categorically stunning, really hot )やってほめまくるハーヴィー。何とほめられても「こいつ、あほか」という態度で超然としているジェシカ。また別のシーンでは、アシスタントのドナにあいさつ代わりに「結婚しよう」と言って、「もう7年も結婚してるわよ」と軽くあしらわれています。

つまり、ハーヴィーは、日本だとヘタをするとセクハラと騒がれそうなセリフをオフィスで連発するのですが、それを受けとめる女性が完全に大人として上に立ち、コドモをいなすように「できる男」ハーヴィーを手のひらで転がしているのです。

 

女は常に男よりも目線が上で、男のコドモっぽさや未熟さを一回り大きな懐深さでいなし続ける。そうすることで男は安心してやんちゃができる。結果、男が力量を思う存分発揮できる。この力関係に、西洋文化における男女間の理想のひとつの型を見る思いがします。実際、中世の騎士道の伝統以来、絶対的に男より上の立場に君臨するクイーンや高位の貴婦人が、常に存在します。たとえ便宜上であれ、その女性の目線の下にいながらその女性の名誉のために闘う、そんな圧倒的優位に立つ女性を必要としているのが、ほかならぬ男なのですね

 

もちろん、例外は常にあり、その力関係が日本的なメンタリティに合うのかどうかは、わかりません。

 ただ、スーツが甲冑の延長としての服として着られるかぎり、クイーンや高位の貴婦人が存在しなくては、男の戦場が絵にならない」ことはたしか。スーツで闘う男たちを、よりパワフルにセクシーに活躍させるために、女のほうが、意識を変えて「演技」することも必要なのかもしれません。


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2013年11月10日

「この香りをたどればあなたのところへ行ける」(フランク・スレード)

紳士淑女のみなさま、こんにちは。


前回、「イギリス人にとっての王室の意味」について書きますと予告し、その準備もあるのですが、クリスマスデートのプランなどの話題もちらほら聞かれるこの時期に、男と女の関係におけるささやかで重要な話としてお耳を傾けていただきたいことがでてきましたので、そちらを先にご紹介することをお許しください。


香水のお話です。


まもなく発売になるメンズプレシャス冬号で、たまたま、香水に関するコメントを求められたのがきっかけです。正確には、「映画の銘品」に関するコメントですが。映画のなかに出てくる印象的なアイテムとして、香水を紹介しました。紙幅の都合上、お伝えしたいことをすべてお伝えすることがかないませんでしたが。

また、このウェブサイト上でも、林信朗さんの男のフレグランス講座が大盛況。専門書のご紹介もあり、とても楽しく勉強になります。というわけで、本誌でもウェブでも、読者のフレグランスに対する関心を喚起しているこの時期に、紙幅やモラルの制限ナシに(笑)、「男と女の関係における香水」というポイントにしぼって、私がかねてより感じていたことをお伝えしたいと思います。

メンプレ本誌(編集部註:12月6日発売の冬号)においては、香水が印象的に使われる映画として「セント・オブ・ウーマン」という映画を紹介します。本誌ではちらっと一言なので、ここではたっぷりサービス。


盲目の退役軍人フランク・スレード中佐を演じるアル・パチーノが、女性教授の香水の銘柄を言い当てるシーンがあります。初対面なのに「結婚してるのか?」とずけずけ聞いて教授を戸惑わせた後、次のような会話が続きます。

 

フランク: 「そのうち一緒に、おしゃべりしましょう。政治のことやなんかを」

      (一呼吸おいて)

フランク: 「フルール・ド・ロカイユ。  ......岸辺に咲く花」

ミス・ダウネス:(ちょっと驚き) 「その通りよ」

フランク: 「この香りをたどればあなたのところへ行ける」(I'll know where to find you)


しびれますね。キャロンの古典的名香の銘柄を正確に言い当て、その香りをたどればあなたを探すことができるというこの会話、目が見えない男だからこその艶やかなやりとり。マイナスと思われていることを逆に最大限に生かしてストレートに女性に迫るこのふるまい、なんとも素敵です。

では、そうではない男が、女の香水の銘柄を言い当てるというのはどうなのか? フレグランスにお詳しいあなたなら、つい、言い当ててしまいたくなる衝動にかられましょう。でも、ちょっと待ってください。

かつて、「ラルチザン・パフュームのシャッセ・ォ・パピヨン」と言い当てられたことがあります。

しまった、と思いました。以後、ぜったいに言い当てられないようにボディクリームとパフュームを適当に変えて、複雑(でもケンカしないように)というか曖昧な香り立ちにするように意識するようになりました。女性として振舞うときには、ミステリアスな印象を与えるのがいちばんいいと思うので。

同時に、こんなマニアックなブランドを言い当てられるなんて、オタクっぽくてブキミ、とも思いました(すみません)。あるいは、過去にたくさん遊んでいらしたのかしらとも訝ってしまい、いずれにせよ、その男性との距離は遠ざかりました。


ファッション業界の男性でしたらば、知識があるのは当然ですから、香水の名前が楽しい会話の糸口になりましょう。しかし、それ以外の男性の場合、相手をよく見て、自分との距離を正確に計り、ケース・バイ・ケースで、慎重にセリフを言ったほうがよいかと思います。


あくまでこれは私の個人的な感覚ですが、女のたくらみに対し、男は気づいても気づかないフリをしていたほうがセクシーです (そもそもたくらみにまったく気がつかないのは、また別の問題です。)

たとえあなたの香水の知識が豊富で、すぐに銘柄がわかったとしても、「なんだかわからないけど、いい香りがするね」くらいのコメントのほうが、奥ゆかしさを感じます。

 

ちょっと飛躍しますが、超遊び人の男性から聞いたお話。キャバクラやバーで本気で口説く相手は、「香水をつけていない女性にかぎる」のだそうです。香水のにおいが服について、家に帰るとバレるから(笑)。それを知る酒場の女性たちは、抱きつかれないようにするために、フレグランスをたっぷりふりかけるとのこと。フレグランス=抱きつかれ防止剤、として使われるわけですね。

ここにもまた、同胞の女ですら知らないであろう、女のたくらみがあります。

 

それでは、男性がつけるフレグランスについてはどうなのか?という「よくある質問」に対しての、お答え。くどいですが、あくまでも私の個人的な感覚に基づく考えです。


とりあえず、ジェニファー・アニストンの至言を紹介するにとどめましょう。


「この世でいちばんいい香りは、愛する男のにおい」。


その人の一部となっている香りでさえあれば、基本的に、なんでもいいんです。チープな整髪料のラベンターのにおいでさえなければ。ある知り合いの女性は、パティシェと恋におち、明治屋のバニラエッセンスを「彼のにおい♡」と持ち歩いていました。マニュアルに頼ることをやめ、まずは清潔にしたうえで自分のオリジナルな存在感を放つことから、ですね。そもそも存在に関心すら抱かれない男は、なにをつけても関心をもたれませんし(厳しい真実でゴメンナサイ)、メンズファッション関係者にも愛用者が多いペンハリガンの「ブレナム・ブーケ」などにしても、つける人の「人柄」によってまったく違う印象の匂いとして香ってくる、ということをお伝えしておかねばなりません。よい香りだったものが、男の裏切りが発覚したあと、悪臭に転じるということもままあります。

しかも、前述のケースと同様、状況によっては男も無臭でなくては、という「女が決して明かさない女のたくらみ」があるかもしれないことまで、よくよく考えておきましょう(笑)。


フレグランスが分子として存在するのはたしかですが、「におい」はあくまで、存在、言葉、行動、触感、味わい、つまりトータルなあなたの印象そのものとして嗅覚に届き、記憶に永くとどまるのです。


......なんてことを心の片隅にとどめ、上質なフレグランスとともに香り高いホリデーシーズンをお過ごしください。


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 (映画『セント・オブ・ウーマン』より)

 

2013年09月15日

「アメリカ人と結婚する貴族さえいる」フィリップ殿下(下)

 紳士淑女のみなさま、こんにちは。あれよあれよという間に夏が過ぎ、秋が訪れました。


すっかり間があいてしまって恐縮のかぎりなのですが、

われらがフィリップ殿下の巻、後半です。


その一貫した装いにおいては紳士の理想として一目置かれている方ではありますが、

この方は「大胆すぎる発言」王としても有名であります。


高貴なる御心のままに放たれた言葉の数々は、時に人を唖然とさせ、時に戸惑わせ、時に怒らせる。

でも最終的にはあまりのばかばかしさに脱力されるか、笑いに包まれて、格好のネタにされつづける。つまり「愛されてしまう」わけです。何冊も本が出版されるほどに...。

昨年も、女王と殿下のご結婚65周年を祝うタイミングで、黄金の迷言集

『Wise Words and Golden Gaffes』 (Phil Dampier & Ashley Walton, Prince Philip著、Barzipan Publishing刊)が出版されました

 

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表紙イラストはじめ、ちりばめられた風刺漫画は、ベテランであるリチャード・ジョリーの手になるもの。大衆紙「ミラー」も、この本の出版に合わせ、「フィリップ殿下、65のクラシックな名言」を厳選して紹介、あらためてその天然にして大胆不敵な表現力を讃えました。


そこで今回は、いまなお伝説として語り継がれるフィリップ殿下の珠玉の迷言たちのなかから、選りすぐって8選、ご紹介したいと思います。短い英語もパンチが効いています。合わせて覚え、ここぞの時に使ってみてください(引き起こされる結果の責任はもちません)。


議論を巻き起こした問題発言は数知れないのですが、まずは、明らかに「政治的に正しくない」発言から。


1. (中国にいるイギリス人学生のグループに)

こんなところに長い間いたら、目が細くなっちゃうよ」

(If you stay here much longer, you'll all be slitty- eyed)


2.(ワイヤーがはずれた箇所を見て)

この工事はインド人がやったにちがいない」

(It looks as if it was put in by an Indian)


3. イギリスにはまだ厳格な階級制が残っていると思われている。でも公爵だってコーラスガールと結婚する。アメリカ人と結婚する貴族さえいる」

(People think there's a rigid class system here, but dukes have even been known to marry chorus girls.  Some even married Americans)

よくぞ外交問題にならないものだとヒヤヒヤするのですが。殿下の偏見まるだしの問題発言は、全方向に配慮を行き届かせねばならない時代の空気に対する鈍感からくるものではなく、ひょっとしたら、畏れを知らない勇敢さから生まれているのではなかろうかとすら思わせる、率直すぎる喝破もあります。


4.イギリスの女性は料理ができない」

(British women can't cook)


5.(マドンナが「ダイ・アナザー・デイ」の主題歌を歌うと知らされて)

耳栓をしたほうがいいか?」

(Are we going to need a ear plugs?)

よくぞイギリスの女性やマドンナのファンからバッシングを受けなかったものだと思います。正直すぎる発言にはただただ笑うしかないのかもしれません。オトナはそういう対応で流していけますが、しかし、この容赦なき率直さが子供たちにも向かうとしたら。

 

6.(将来は宇宙飛行士になりたいと語った12歳の少年に対し)

きみは太りすぎているから無理だろう」

(Well, you'll never fly in it, you're too fat to be an astronaut)


この殿下の一言が、この子が夢をあきらめるきっかけになったとしたら、なんと酷なことでしょう。いや、たとえそうであっても、方向転換のおかげでこの子が他の天職に巡り合えていることを祈りたいと思います。

そんなこんなの失言、危言が続くなかにも、真実をズバッとついて痛快な金言が光ることがあります。


7. (80年代の不況時に)

「国民は、我々の生活にはもっと休みが必要だと言ってたくせに、今度は仕事がないなどと文句を言っている」

(Everybody was saying we must have more leisure.  Now they are complaining they are unemployed) 


8.(カリブの病院にて)

「あなた方が蚊に悩まされるように、私はマスコミに悩まされる」

(You have mosquitoes. I have the Press)

 

 イギリス紳士のユーモアなる知的な穏やかさとは一線を画す、率直すぎてヒヤヒヤものの、ファニーな放言。政治的正しさなど知ったことではない、つっこみどころ満載の危言。

でもときにはそれが、ずばっと真実をついていたりして、イギリス人はそんな失言王を、


「危険公爵」

「ギリシア人フィル」


とからかいながらも、こよなく愛してやまないのです。殿下のほうも、「蚊のようなマスコミだ」などと言いながらも、別に失言癖を改める努力をするわけでもない。


実際、「決して賢く立ち回るキャラではない」殿下のキャラクターこそが、英王室の伝統にきわめてしっくりなじむのです。では、イギリス人にとって、いったい王室とは何なのでしょう? 


これについては次回、あらためてお話しましょう。

それまで、ごきげんよう。



 

 

 

2013年06月14日

「私は勇敢なのか? 愚かなのか?」 フィリップ殿下(上)

恋人、夫婦の関係において、女のほうが男よりも社会的地位が高い。話題の映画「セレステ&ジェシー」にも描かれていますが、愛があれば社会的格差なんて、というのは建前上のこと。現実には、そう簡単にはいきません。ジョー・ディマジオのような大リーガーですら(いや、大リーガーであるからこそか?)、人気の上で自分を上回ったマリリン・モンローのほうにより多くのカメラのフラッシュがたかれることを快く思わず、カップルは破局を迎えました。同じような問題に幸せの行く手を阻まれ、別れに向かう身近なカップルの話は、あとを絶ちません。


でも、一方で、難題を乗り越え、半世紀以上も仲良しであり続けているカップルもいます。その究極の例ではないかと思われるのが、エリザベス女王とその夫、エディンバラ公フィリップ殿下のカップル。トップ・オブ・ザ・トップに立つ女性の傍に立ち、卑屈にならず、自身の尊厳も保ちながら、愛する女性を常に立てていなくてはならない。「女王の夫」とはいったい、どんな方なのでしょうか。

 フィリップ殿下は、最近は手術や入退院を繰り返していますが、6月10日に92歳の誕生日を迎えられました。ご結婚65周年も迎えたご夫婦ですが、女王との結婚式を控えた数時間前、フィリップ殿下はこのような問いを周囲に投げかけられたそうです―


「私は非常に勇敢なのか? それとも、ものすごく愚かなのか?」


その問いに対して、どなたかがなんらかのお答えをしたのかどうかは伝えられてはおりませんが、ともかく、殿下は、「女王の夫」として常にエリザベスⅡ世に笑顔で寄り沿い続けてきました。格差婚であっても夫婦安泰の秘密はどこにあるのか? 考える手がかりを得るために、まずは彼のスーツスタイルから観察してみましょう。


グレーか紺のシングルのスーツ、白か淡いブルーのシャツ、シルクのタイと黒い靴、唯一の「装飾」がきりっと折りたたまれた白いポケットスクエア。このスタイルが実は女王の夫」となって以来、ほとんど変わっていないことが、次の記事からわかりました。2年前、2011年6月3日付の英「ファイナンシャル・タイムズ」に掲載された、殿下のスタイルを読み解く記事です。Regally restrained.(王室にふさわしき抑制)と題されています。

以下に、ざっと超訳しながら概要を紹介しますね。


女王と結婚後、60年以上もの間、「公人」として人前に出てきたフィリップ殿下ですが、その外見がなにか批評の対象になったことは、一切ありませんでした。慎み深く、謹厳で、威厳もある、理想的なスーツ・スタイルのモデルとなり続けてきました。


完璧に抑制のきいたユニフォームであり、ゆえになんの批判も受けない。このスタイルは現政治家にも継承されています。デイヴィッド・キャメロン、バラク・オバマ、トニー・ブレア、ニック・クレッグはみな同様のスタイルです。サヴィル・ロウのテイラー組合のチェアマン、マーク・ヘンダーソンはこのようにコメントしています―「フィリップ殿下の装い方には、最高にすばらしい、目立たぬ賢さがある」。


殿下のスーツを、少なくともここ45年間つくっているのは、Kent, Haste & Lachter のジョン・ケント。1960年代に、ケントがHowes & Curtisにおいて殿下のトラウザーズをつくったことからご縁が始まりましたが、1986年にケントが独立したあとも殿下のテイラーであり続け、昨年、ケントが現在の会社をはじめたときにはすぐにロイヤルワラントを取得しています。殿下の好みは渋め、と彼は語ります―「シングルのジャケット、フロントは2つボタン、カフスは4つボタン。ベントなし。ポケットにもフラップなしで玉縁かがりのみ。トラウザーズはクラシックで、プリーツはあっても余分な幅はなし」


この40年間、メンズファッションは激動期でもありました。ロックンロール、ヒッピーカルチュア、ニューロマンティックを経てヒップホップへという流れがありました。スーツにおいても、アルマーニによる「脱構築」があり(*芯地やパッドを省いたアンコンスーツですね)、ヨウジ・ヤマモトによる再構成があり、ヘルムート・ラングやエディ・スリマンによる革新を経て、トム・フォードによる70年代風ルネサンスがありました。こうしたあれこれの騒動を横目に、殿下のスタイルで変わったところといえば、トラウザーズのカットを細くしたことと、ラペルを少し長くしたことだけ。

 

「殿下はカジュアルをお召しになることがあるのか?」という質問に対し、彼のテイラーはちょっと間をおいて、ドライに答えました―「熱帯にお出かけになるときには、軽量のコットンスーツをおつくりしました」


マーク・ヘンダーソンの締めです―「多くの点で、殿下は典型的なブリティッシュ・ジェントルマンであり、スタイルは永遠であるということを私たちに思い出させてくれるのです」

... 以上です。

 

「目立たぬ賢さ(low-key smartness)」を特徴とする英国紳士スタイル。服装の上ではこれを貫き、実に60年以上も批判ナシ。王室メンバーの王道をいく振る舞いといえましょう。


しかし一方、これほどタイクツなこともありません。同記事のなかでも指摘されていますが、長男にあたる現皇太子のチャールズの装いにちょっと華やかなダンディぶりが入ってるのは、父の厳格さに反抗してのこと...と見ることもできなくはない。ソフトショルダーのダブルを好み、ポケットチーフもカラフルで、パフを作って入れたりしていらっしゃいますね。この父子関係は、オーソドックスを好んだジョージ5世の好みに反して、ど派手なスタイルセッターになってしまったウィンザー公との関係を思わせるものでもあります。

 

父子関係の考察は別の機会にゆずるとして、きまじめスタイルを貫きとおすフィリップ殿下。装いはかくもタイクツでも、その口元から発せられることばはとんでもなく面白いのです。

―To be continued.

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フィリップ殿下27歳の頃。この睦まじき姿は、今日も変わらない。